TEL:0573-56-3366

〒509-7602 岐阜県恵那市山岡町馬場山田167-2
【営業時間】9:30頃~16:00頃※売り切れ次第終了します。
【火曜日定休】※火曜日が祝日の場合は営業いたします。
※1月1日~2月3日まで無休

             

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かんのん茶屋

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伝説の五平餅と呼ばれる由来

飯高観音

伝わる伝統

当店は恵那市山岡町の飯高観音(萬勝寺※まんしょうじ)にある茶屋です。飯高観音で数百年前から伝わる五平餅を提供しています。山岡に伝わる伝統の一品を日々丁寧に作って提供しています。

変わらない五平餅

変わらない製法

昔と変わらない製法を忠実に受け継いでいます。シンプルながらも歴代繋がれた秘伝のタレを使用し、手間暇かけて手作業で作っています。

本当に美味しいと評判!毎日手づくりの五平餅

ミネラル豊富な山水で育った山岡町のお米をつかい、特製ダレで1本1本焼いてます。
めん類・珈琲・お酒等も販売(店内には、お座敷もあり)

伝説の五平餅

山の神を祀る山の講は、旧暦の2月7日と10月7日の春秋二度行われます。恵那市山岡町飯高集落で行われるこの祀りは、男ばかりが集まり、尾頭付きの魚や、お神酒のほか、焚き火をして五平餅をお供えします。この五平餅は、ご飯を団子状にまるめ、およそ一メートルほどのリョウブの木に練りつけ、素焼きをしてタレをつけて焼きあげます。いつ頃から行われているのかは定かではありませんが、先祖代々と受け継がれ、数百年前からあったようです。一説によると、五平餅のルーツは、この山の講の五平餅ではないかとも言われております。

飯高観音について

飯高山~萬勝寺の成立ち~

当山、飯高山萬勝寺は寺伝によれば、1200年前の平安初期に比叡山延暦寺の三代座主慈党大師を開祖として創建されたと伝えられ、当時は天台宗で飯高山満昌寺(まんしょうじ)と称されていました。中世には七堂伽藍に仏法道場、仁王門を備え十ニヶ院の山内寺院に観音堂は十二間四面と栄華を誇りましたが、戦国時代、武田氏により全山焼失しました。
その後江戸時代に宗派を臨済宗とし、戦火を免れた慈覚大師作と伝えられる千手観音菩薩像を安置し「満昌」を「萬勝」と変え臨済宗萬勝寺が誕生しました。

三百年の歴史を持つ各堂宇でしたが、昭和16年惜しくも失火により失われます。
しかし、南無十一面観世音菩薩像をはじめとする各仏様は幸いにも難をまぬがれ太平洋戦争後、檀信徒の方々の尊いご尽力により本堂、観音堂(現観音堂の左側の建物)、庫裡が建設されたのです。
平成元年、檀信徒の方々の尊いご尽力のおかげで山門、鐘楼が、そして平成4年、本堂が再建され、これを契機に山号を現在の飯高山と改名しました。

平成13年(2001年)10月に現在の観音堂が落慶しました。参拝客の方々から「飯高さん」と親しまれ、「厄除観音」として知られる千手観音菩薩像はここに安置されており、17年に一度のご開扉が待たれています。

茶室 園月(えんげつ)

現在より約300年前、岩村城内に藩主松平乗紀(まつだいらのりただ)によって宝永年間(1704~1711年)に建てられたと伝えられる茶室です。明治維新の廃城後4回に渡り所有者が変りましたが、平成17年3月、貴重な郷里の文化財の流出を憂えた旧岩村町出身の茶道家のご尽力によって当山境内に移築されました。

藩校「知新館」を創立した文化人である藩主松平乗紀の愛でた文人趣味の茶室は、内外とも300年前の姿をほぼそのままに、庭木・庭石に至るまで岩村城ゆかりの優雅なたたずまいが復元されています。